2019年10月31日の火災で正殿などが失われた首里城。1992年の復元当初は少し距離を置いて眺められた風景が目の前から消え、多くの人々が、朱塗りの城が沖縄の象徴として存在していることに気付きました。
象徴としての首里城はいつ、どのように心の中で育っていったのか。テーマ別に、それぞれの思いを点描する連載「首里城 象徴になるまで」が、2020年12月から始まりました。
連載の内容
第1回は「なぜ若い人まで首里城火災に泣いたか 思い乗せて、歴史の光と影を物語る城へ」(2020年12月21日)。その後も、大龍柱の向き決着、琉球漆器の再建、旧日本軍司令部壕の保存、御茶屋御殿の復元など、多岐にわたるテーマを扱っています。
「首里の風景ができるまでに100年 風土になるのは1000年後」や「サトウキビ畑の土よりも深い赤 首里城の窓を彩った久米島の赤土」など、地域の視点も織り交ぜながら、首里城の象徴性を探ります。
再建への機運
火災後、首里城祭には多数の県民が参加し、「前に進まなくては」と古式行列が希望の歩みを見せました。また、国頭村との「切っても切れない歴史の重み」や、与那国島の石でできた大龍柱など、首里城を支える地域のつながりも浮き彫りになっています。
「しょせん偽物」の逆風に抗い、草の根で19年後に復元運動が結実した経緯も紹介。守礼門の再建には戦前の修理経験が生かされ、「身近な素材で工夫して造る」文化財の建築思想が脈々と受け継がれていることを伝えます。