本部町の田中英治さん(90)は、爆発に巻き込まれ、亡くなったと思っていた親友の喜納まさひろさんが、生きて帰ってきた1948年8月6日を鮮明に覚えている。大量の不発弾や未使用弾を積んだ米軍LCT(上陸用舟艇)が爆発し、多くの死傷者が出た。本部町からの連絡船が伊江島に着いた直後だった。
親友の生還を鮮明に記憶
田中さんは、キャッチボール仲間だった喜納さんとの思い出を語る。爆発の知らせを聞いた時は、親友の死を覚悟したという。しかし、喜納さんは生きて帰ってきた。その日のことを田中さんは「鮮明に覚えている」と話す。
戦争がもたらした悲劇
田中さんは「戦争さえなければ」と述べ、戦争がもたらした悲劇を振り返る。伊江島でのLCT爆発は、多くの犠牲者を出した戦後直後の悲劇として記憶されている。