いつも現場にいる記者の先輩。退職すると遠ざかる人がほとんどだが、ジャーナリストの故由井晶子さんは違った。基地や人権、女性に関わる集会など、さまざまな場所で顔を合わせた。車を運転しなかったが、朝早く名護市屋我地島で会ったこともある。
戦後まもなく上京し早稲田大へ
那覇市出身で、終戦6年後の1951年に早稲田大に入学した。女性記者の草分けとして、現場へのこだわりを持ち続けた。
退職後も第一線で活動を続け、多くの人々に影響を与えた。
ジャーナリストの故由井晶子さんは、退職後も基地や人権、女性に関わる集会などさまざまな現場に足を運び続けた。那覇市出身で、終戦6年後の1951年に早稲田大に入学した草分け的存在を悼む。
いつも現場にいる記者の先輩。退職すると遠ざかる人がほとんどだが、ジャーナリストの故由井晶子さんは違った。基地や人権、女性に関わる集会など、さまざまな場所で顔を合わせた。車を運転しなかったが、朝早く名護市屋我地島で会ったこともある。
那覇市出身で、終戦6年後の1951年に早稲田大に入学した。女性記者の草分けとして、現場へのこだわりを持ち続けた。
退職後も第一線で活動を続け、多くの人々に影響を与えた。