玉城県政8年、脱基地の願いに厚い壁 社説
玉城県政8年、脱基地の願いに厚い壁 社説

玉城デニー知事が2期8年の任期を終え、きょう県庁を去る。

2018年、急逝した翁長雄志知事の後継として「オール沖縄」勢力の支援を受け、準備が十分とはいえないまま急きょ立候補した。名護市辺野古の新基地建設阻止を訴え、圧勝した。

県民投票で7割超が反対

翌19年に実施された新基地建設の是非を問う県民投票では、辺野古「反対」が7割超に達した。こうした民意を背景に、玉城氏は21年、国が行った大浦湾側の軟弱地盤改良を柱とする申請を不承認とした。

「地盤の安定性が十分に検討されていない」ことや貴重な周辺環境の保全の問題だけでなく、「普天間飛行場の危険性早期除去につながらず合理性がない」と批判した。

玉城氏の姿勢は民意と自治を貫く覚悟がにじみ出たものだったが、国は県がすべき承認を代執行するという前代未聞の形で埋め立てを強行した。玉城知事の時代には振興予算での「揺さぶり」も露骨で、国と県との対話は進まなかった。

復帰50年を迎えた22年には「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を発表した。復帰時からの県民の願いも踏まえ、基地のない沖縄の実現を目指したものだ。しかし、同時期に起きた首里城火災や豚熱、新型コロナウイルスなどの対処に追われ、主張を必ずしも徹底できなかった。

基地問題では日米両政府の厚い壁に阻まれ、思うような成果を上げられなかった。

戦後史を体現する政治家

玉城氏はある意味沖縄の戦後史を体現する政治家といえる。米軍統治下の沖縄で米軍人の父と県出身の母の間に生まれ、母子家庭で育った。そうした経験がダイバーシティー(多様性)の尊重や子どもの貧困対策などの政策につながった。

21年の性の多様性尊重宣言、23年の県差別のない社会づくり条例制定などを通じ、少数者への理解を深める政策を推進した。中学生の給食費半額相当を県が補助する制度や、市町村とも協力して中学校卒業までの医療費窓口負担を無償化した。

キャッチフレーズとしたのは「誰ひとり取り残さない優しい沖縄」だ。立場の弱い者に手を差し伸べる姿勢は最後まで変わらなかった。温かい姿勢は新県政でも引き継いでもらいたい。

「デニーさん」の8年

玉城氏は任期最後の定例記者会見で「沖縄の心」について問われ、こう答えている。「先人たちから受け継いできた思いやり、チムグクルですね」

知事になった後も県民からは親しみを込めて「デニーさん」と呼ばれてきた。カチャーシーが上手でしまくとぅばを巧みに操り、フジロックフェスティバルにも出演するなど発信力にたけた知事でもあった。

これまでにない異色の知事として沖縄県政史には残るだろう。

出典:www.okinawatimes.co.jp