玉城デニー知事が29日、退任する。困難を抱えながら、多様性としなやかさを県政運営に落とし込み、政策を推進してきた2期8年間であった。
「誰一人取り残さない」を掲げて
故・翁長雄志知事の急逝を受け、2018年の県知事選に出馬し、初当選を果たした。その頃から、玉城氏が一貫して掲げてきたのは「誰一人取り残さない、優しい社会の実現」である。
自身の出自や経験も大いにあっただろう。米国人の父、伊江島出身の母の間に生まれた。沖縄の戦後史を体現した存在と言ってもいい。母子家庭で生活が苦しかったことも明かしている。
マイノリティーへの施策とレガシー
任期中に、パートナーシップ・ファミリーシップ制度や子どもの権利条例などを成立させた。目線を性的少数者(LGBTQ)や、さまざまな困難を抱えた子どもたちなど、マイノリティーに向けて施策を打ち出した。救われた思いをした人も多かったであろう。
25日の最終定例会見で、玉城氏は「私のような多様な生まれと人生を歩んだ者に対し、かじ取りを委ねていただいた県民の力、そのものがレガシーというほかにない」と述べ、感謝を伝えた。
辺野古新基地建設への対応
翁長前県政から引き続き、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古新基地建設への対応が、最重要課題となった。
多くの時間を費やさざるを得えず、国との裁判闘争も続いた。しかし玉城氏は常に「対話」を求めてきたが、その求めに応じてこなかったのは紛れもなく政府である。
23年には軟弱地盤の設計変更申請に応じない県に代わり、国が地方自治体事務を代執行するという前例のない「禁じ手」に及んだ。地方自治の本旨を揺るがしても工事を推進する国の専横が白日の下にさらされた。
オール沖縄の功績と限界
裁判で県の敗訴が続いたが、国民が改めて問題に目を向ける機会をつくった。この過程で軟弱地盤の存在など辺野古新基地建設の問題点を浮き彫りにしていった。
翁長前知事から引き継ぎ、大きな政治的なうねりを生み出した「オール沖縄」体制もしかりだ。12年間にわたり、辺野古新基地の反対を訴え続け、構造的な不条理を沖縄の立場で訴えたことは決して無駄ではない。
他方、辺野古新基地拒否で結集したオール沖縄が暮らし・経済など諸課題全般に対処できたわけではない。現時点での県民の評価は分かれよう。翁長県政から12年続いたオール沖縄の功績と限界を見極める必要がある。
災害級の対応と県政の課題
玉城県政も1期目の途中から、2期目にかけて、新型コロナウイルスの影響によって社会、経済活動が停滞した。感染症への対応をはじめ、首里城の焼失、豚熱など「災害級」の対応に常に迫られてきた。
終盤にワシントン事務所問題をはじめ、県庁内で事務処理のミスが相次いだ。辺野古沖の船舶転覆問題も玉城氏の県政運営に暗い影を落とした。
3期目当選とはならなかったが、玉城氏が残した「レガシー(遺産)」は少なくない。29日の退任会見は自らの言葉で県政を振り返ってほしい。