読谷村長時代に役場庁舎を米軍読谷補助飛行場に移設し、その後の返還に結びつけるなど、米軍基地問題や住民主体の村づくりに取り組んできた山内徳信さんの訃報に、県内の関係者からは悼む声が相次いだ。
役場庁舎移設という「自治のくさび」
山内さんは読谷村長として、村役場の新庁舎を基地内に建設。この行動は「自治のくさび」と呼ばれ、基地返還への道を開いたとされる。また、訪米団長としてワシントンで「沖縄の肉声を伝えることができた」と語っていたという。
関係者から惜しむ声
訃報を受け、県内の関係者からは早すぎる死を悔やむ声や、その功績をたたえる声が上がっている。山内さんの取り組みは、住民主体の村づくりの象徴として今も語り継がれている。