SNSで爆売れ「いちゃガリガリ」 世界唯一の製法、60年続く沖縄の激カタ菓子
SNSで爆売れ「いちゃガリガリ」 世界唯一の製法、60年続く沖縄の激カタ菓子

SNSが全盛の時代に、小麦粉と塩とスルメが原料の素朴な昭和レトロ菓子「いちゃガリガリ」が脚光を浴びている。卸先のスーパーでは購入に個数制限を設けても欠品状態が続き、東京都のわしたショップ銀座店では店頭に並べば即日完売。インターネットでは、値を釣り上げて転売する人もいるほどだ。

いちゃガリガリを世界で唯一製造しているのが浦添市屋富祖の「新里食品」。母・敏子さんの代から60年続く味を守り続けている代表の新里敏郎さん(67)は「味も製法も昔のままだけど、今が一番売れている。でも儲かってはない」と笑う。

沖縄一の硬さ、ハンマーでも割れない

人気の理由のひとつは、沖縄一といわれる「硬さ」だ。中途半端な硬さではない、氷河を噛み砕くぐらいの覚悟を持って奥歯で挑まなければ、おいしさを噛みしめることは難しい。新里さんは「初めて?歯は丈夫?」と店を訪れる客に優しく問い掛ける。

全て手作り、約2時間で生地が空に

いちゃガリガリの製法は全てが手作業。水を張ったタライに食塩と小麦粉を入れ、練り合わせ生地を作る。小麦粉や水の分量は、その日の天気や湿度を見定める。長さ約5センチに切ったスルメを芯にして生地で包み、ひねって棒状に伸ばす。粘り気のある生地は簡単に指から離れないが、新里さんは手早く120度の油の中に落としていく。火の調整をせずに、油の温度を一定に保ったまま鍋の中に次々と投入していくのが、最も難しいという。タライいっぱいにあった生地は、約2時間で空に。30分後、鍋から上がったいちゃガリガリは、まだ柔らかく白い。

白いいちゃガリガリは、隣りの180度の油で再び約30分、琥珀色になるまで二度揚げする。母の代から使う米軍のドラム缶を切って作った二つの釜からは、香ばしい匂いが立ち上る。調理場の温度は40度を超え蒸し風呂状態で暑い。一度の製造で約400個、午前と午後、合わせて一日800個を作る。黙々と作業にあたる新里さんは「仕事だから苦にはならない。ただ、話し相手が恋しい時もある」と素直に明かす。検品作業にも時間を惜しまない。いびつな形のものや短いものはB級品として取り扱われ、知る人ぞ知る、お得な詰め合わせとして好評を得ている。その後も、新里さんは包装や配達も1人で行う。

1個1セントの時代から、返品から生まれた硬さ

沖縄の日本復帰前は1個1セントで販売し、地域の子どもたちのおやつとして親しまれた。約30年前に本土から戻った新里さんは家族経営に加わり店を支えてきた。現在は、お気に入りの座布団に腰を据え1人で黙々と作業にあたる。「簡単そうに見えたので、見よう見まねでやってみたが、全然上手に作れなかった。誰も想像してなかったが、こんなに長く続いている」と話す。

開発当初は現在ほどの硬さはなく、柔らかい天ぷら菓子として販売していた。しかし、湿気の多い沖縄ではカビの繁殖に勝てず、数日してほとんどが返品されたという。打開策として、高温で2度揚げし、水分を吹き飛ばした結果、鎧をまとった硬派ないちゃガリガリが誕生した。発売してしばらくは名前はなく、スルメ天ぷら、いちゃ(イカ)揚げなどと呼ばれていた。卸先の担当者が店頭で名前が表示ができずに困るとして「いちゃガリガリ」という名前を提案、現在に至る。命名したのは取引先の担当者、パッケージ制作は新里さんの同級生。

夏休みで閉店騒ぎ、ファンの存在に感謝

作っては売れ、売れては作る30年。新里さんは今年初めて、心身のリラックスを目的に6~7月に夏休みを取った。ところがSNS上では、閉店や発売中止などと騒ぎになり、店に問い合わせが殺到した。改めて、ファンの存在の大きさに気付かされたと同時に、感謝の気持ちが湧いたという。

味を除き、1個1個それぞれに違いがある「いちゃがりがり」。ひとつとして世界に同じ物はないところも魅力のひとつだ。たくさん売れても儲けは少ない。それでも新里さんは“世界にひとつだけ”の菓子を作り続ける「何十年と同じように作ってきても、毎日違いがある。こんなに長く愛される物を残してくれた母に感謝している。これからも『おいしい』と言ってくれるファンのために、できる限りがんばりたい」と硬い決意を語り、「実は一度も硬いと思ったことがない」と、丈夫な歯を輝かせて笑う。

「いちゃガリガリ」は、わしたショップ国際通り店や那覇空港店、沖縄県内のAコープなどでも販売している。

出典:ryukyushimpo.jp