10・10空襲から82年 民間犠牲の国家責任重い 社説
10・10空襲82年 民間犠牲の国家責任重い

米機動部隊が1944年10月10日に南西諸島を襲った「10・10空襲」から82年が経過した。米軍が使用した焼夷弾は軍事施設だけでなく、役所や学校、住宅がある民間地域を焼き払い、国際法に反する無差別攻撃であった。

無差別攻撃の連鎖と民間人の犠牲

アジア・太平洋戦争の過程で日本軍は南京、武漢、広東、重慶の各都市を無差別爆撃した。戦争末期には日本が米軍の無差別攻撃に遭う立場となった。無差別攻撃の応酬と連鎖は罪のない民間人の命を奪い、街を破壊した。日本の空襲犠牲者は76万人に上る。10・10空襲は日本を標的とした大規模無差別攻撃の始まりだったのである。

防空法と情報隠蔽の検証

10・10空襲を含む国内の空襲被害を今日の視点で考える時、住民被害を拡大させた法制度と、戦意喪失を回避するための情報隠蔽を検証する必要がある。戦時体制下で民間人に責任を押し付け、犠牲を強いた国家責任を見逃してはならない。

1937年に制定された「防空法」は戦時の空襲で生じる危害を防止・軽減するための行動を定めた。灯火管制、消防、防毒、避難、救護の取り組みを民間に求め、監視、通信、警報も民間で担わなければならなかった。同法に基づき「逃げるな、火を消せ」が合言葉となったが、実際の空襲時には法律で定められた防空活動はほとんど機能せず、空襲から逃げなかったために犠牲になった住民もいる。

責任転嫁と矮小化された被害

10・10空襲の被災状況をまとめた日本軍資料は、空襲被害が広がった原因を「恐怖の念と犠牲的精神の欠如ならびに防空訓練の不足」に求めた。米機動部隊襲来の覚知が遅れ、十分に応戦できなかった日本軍の責任を沖縄の民間人に押し付けているのである。

民間に防空を求める一方で空襲被害は矮小化された。10・10空襲で旧那覇市街地の9割が焼失し、県全体で軍人・軍属、住民ら少なくとも668人が死亡、768人が負傷した。ところが大本営発表は「我部隊は之を邀撃し其の二十六機以上を撃墜せり」「我方地上及船舶に若干の損害あり」と被害を隠した。戦意高揚を意図し、戦果を誇大に発表しながら被害を覆い隠す大本営発表は、実際の戦況に対する国民の判断を誤らせてしまった。空襲に関しても「若干の損害」という発表は恐怖心を鈍らせ、避難行動を遅らせてしまったのではないか。

被害者救済の立法措置を

空襲による民間人犠牲に対する国の責任は重大だ。その意味で、空襲被害者救済法案が38年ぶりに今年の通常国会で提案されながら、審議されないまま廃案になったのは極めて残念だ。

戦争被害は国民が等しく受忍しなければならないという「戦争被害受忍論」を理由に国は民間人空襲被害者の個別補償には応じていない。しかし、国の責任を直視するならば被害者救済の立法措置に踏み切るべきだ。民間人をしばる戦時体制の再来を食い止めるためにも、10・10空襲被害における国の責任を語り継がなければならない。

出典:ryukyushimpo.jp