奄美大島以南の南西諸島が米軍の猛烈な攻撃を受けた「10・10空襲」から、きょうで82年となる。午前6時40分から午後3時45分ごろまでの断続的な攻撃で、総量540トン超の爆弾が投下され、那覇市の9割が焼き尽くされた。出撃した米軍機は延べ1396機に上り、沖縄で初めての大規模な無差別攻撃となった。
市街地も襲った無差別攻撃
爆撃は飛行場や港湾などの軍事施設だけでなく、市街地も襲った。米軍は木造家屋に有効な焼夷弾を多用し、爆弾は民家や学校、病院にも降り注いだ。約1500人が死傷し、死者668人のうち半数の330人は民間人だった。10・10空襲は沖縄戦の始まりと言われる。
戦時中とはいえ、それまで散発的な攻撃にとどまっていた県内で、県民は戦争をどこか遠くのことのように感じていた。しかし、戦争は着実に近づいていた。
焼け焦げた米のにおいが今も
当時久茂地国民学校2年生だった儀間節子さん(89)は、祖父と上空を飛ぶ飛行機の編隊を見上げ「今日の演習はすごいね」と話していたとき、突然「ドカン」と空襲が始まった。学校で習った身を守る姿勢を取る余裕はなく、爆風の中、必死で逃げた。小高い丘に着くと、那覇の街は一面火の海になっていた。久茂地に戻ると米の焼け焦げたにおいがした。今でも米の焦げたにおいを嗅ぐと当時を思い出すという。
一度戦場となれば逃げ場はどこにもない。これこそが10・10空襲の教訓だ。
再び進む「要塞化」への懸念
空襲で県内各地に壊滅的な被害が出ると、日本軍の第32軍は艦砲射撃や空襲に耐え得る強固な壕として、首里城地下への司令部壕設置を決めた。その後、軍が首里決戦を避けて南部に撤退したことで、住民らは日本軍を掃討する米軍の猛攻撃にさらされ、幾多の命が失われた。
いま再び、県内で「要塞化」が進もうとしている。陸上自衛隊第15旅団は年度内に規模を拡大し師団化される。石垣駐屯地に電子戦部隊、与那国駐屯地には対空電子戦部隊のほか、2030年度に地対空ミサイル部隊が置かれる。19日からは南西諸島で過去最大規模となる日米共同統合演習「キーン・ソード」が始まり、島々にミサイルが展開される予定だ。与那国や石垣に最新型地対艦ミサイルシステム「ネメシス」などが展開される。かつての記憶と重ね不安に思う住民は少なくない。
救済法案に「沖縄戦」の文字
太平洋戦争中の民間人被害の救済を求める全国空襲被害者連絡協議会は、国会での成立を求めている「空襲被害者等救済法案」の名称に「沖縄戦」の文字を加えた。沖縄戦を含む民間戦争被害を幅広く救済する法案であることを明確にするためという。
ひとたび戦争が起きれば、多くの犠牲者が出るだけでなく、生存者や遺族も長く苦しめられる。救済法案を求める声にはそうした教訓が込められている。二度と戦争を起こさない覚悟を示すためにも、国会は真摯に耳を傾けるべきだ。