1944年10月10日、那覇市を中心に沖縄本島各地や周辺離島、先島、奄美など南西諸島全域が米軍による無差別攻撃を受けた「10・10空襲」から10日で82年を迎える。
5回・9時間の無差別攻撃
空襲は計5回、9時間にわたり、延べ139機の米軍機が参加したとされる。那覇市街は壊滅的な被害を受け、多くの市民が犠牲となった。
今回の記事では、米軍が日本本土や沖縄への攻撃に使用した焼夷弾について、その使用決定の背景に日本軍の戦術が影響していた可能性を、識者の見解を交えて紹介する。
日本軍の爆撃を参考に
識者によると、米軍は日本軍が行った無差別爆撃の手法を参考に、焼夷弾を使った攻撃を計画したとみられる。特に、中国で日本軍の爆撃を目撃した米軍少将が、その戦術を参考にするよう進言したことが契機となったという。
この進言により、米軍は日本軍の焼夷弾攻撃の効果を高く評価し、同様の戦術を採用した可能性が指摘されている。
82年後の教訓
10・10空襲から82年が経過した今も、戦争の悲惨さを伝える取り組みが続けられている。那覇市では戦没者追悼式が営まれ、関係者が焼香して非戦を誓った。
識者は「日本が先に無差別攻撃を行ったことが、米軍の焼夷弾使用の背景にある」と指摘しており、戦争の歴史を検証する上で重要な視点となっている。