10・10空襲から82年を迎え、米陸軍少将クレア・リー・シェンノート氏が、日中戦争のさなかに日本軍による重慶爆撃を目撃し、その経験から「教訓を得た」と回顧していたことが分かった。シェンノート氏は1949年に発行した回顧録で、日本への無差別焼夷弾使用を進言した経緯を詳細に記している。
重慶爆撃の目撃が転機に
シェンノート氏は中華民国軍の指導に当たる立場で、日本軍が実行した重慶爆撃を実際に目撃していた。その際の経験について、同氏は「教訓を得た」とつづっている。この経験が、後の日本本土への焼夷弾使用を進言する背景になったとみられる。
無差別攻撃への転換点
当時の米軍は、日本軍の無差別爆撃を参考にしたとされる。識者からは「沖縄が先駆けだった可能性がある」との指摘も出ている。10・10空襲は1944年10月10日に那覇市街を中心に実施され、市街地は焼け野原となった。
この空襲から82年が経過し、当時を体験した人々の証言や資料の分析が進む中で、米軍側の作戦決定の背景にも注目が集まっている。シェンノート氏の回顧録は、日本軍の爆撃が米軍の戦略に与えた影響を考える上で重要な資料となっている。