旧那覇市若狭町出身の城間祥介さんは、2017年12月に90歳で亡くなるまで、1941年4月から76年余りにわたり日記を書き続けていた。日本軍第32軍が創設された1944年の日記には、軍国少年らしい勇ましい言葉が並ぶ一方、連日の勤労動員で勉強ができず、不満や不安を募らせる学生らしい心境もうかがえる。
動員の日々と学業への不安
日記には、勤労動員に駆り出される毎日の中で、学業がままならないことへの焦りや不満がつづられている。戦時下の学生としての苦悩が率直に記されており、当時の若者の心情を伝えている。
妹の犠牲と「僕らが悪かった」
また、妹を戦争で失ったことについて「僕らが悪かった」との記述もあり、戦争への複雑な思いがにじむ。家族提供の資料として、城間さんのスケッチの複製も残されており、墓の上から見た母校・那覇市立商業学校や泊の火災が描かれ、「さて我が家は安全か」「避難者が満ちている」といった書き込みがある。
これらの記録は、戦時下の沖縄における市民生活の一端を伝える貴重な資料となっている。