大田昌秀県政末期の1998年、県庁6階の出納長室は記者の間で「山内学校」と呼ばれていた。就任したばかりの山内徳信さんは元教員で、記者が訪ねると民主主義や地方自治についての講義を聞くことになった。
目先の事案より原理原則
記者はつい目先の事案について尋ねるが、山内さんは懇々と諭すように原理原則を説いた。回顧録に記した「正論をもって闘い抜く」スタイルこそ、その真骨頂だった。
「山内学校」の教え
このコラムは、県政の一時代を象徴するエピソードとして、山内さんの姿勢を振り返る内容だ。
1998年、県庁6階の出納長室は「山内学校」と呼ばれた。元教員の山内徳信さんが就任し、民主主義や地方自治について講義。記者は原理原則を説かれた。
大田昌秀県政末期の1998年、県庁6階の出納長室は記者の間で「山内学校」と呼ばれていた。就任したばかりの山内徳信さんは元教員で、記者が訪ねると民主主義や地方自治についての講義を聞くことになった。
記者はつい目先の事案について尋ねるが、山内さんは懇々と諭すように原理原則を説いた。回顧録に記した「正論をもって闘い抜く」スタイルこそ、その真骨頂だった。
このコラムは、県政の一時代を象徴するエピソードとして、山内さんの姿勢を振り返る内容だ。