[社説]山内徳信さん死去 憲法が生きる自治追求
[社説]山内徳信さん死去 憲法が生きる自治追求

元読谷村長で参院議員も務めた山内徳信さんが26日、老衰のため亡くなった。91歳だった。「平和主義、基本的人権の尊重、主権在民」を掲げる憲法に感銘を受け、憲法が生きる自治を追い求めた政治家として知られる。

沖縄戦の体験が人生の指標に

読谷村生まれの山内さんは、10歳の時に沖縄戦を体験した。徹底した皇民化教育と苛烈な戦争体験から、戦後の教科書で知った「憲法」と「民主主義」が人生の指標となった。

琉球大学卒業後は高校の社会科教師に。並行して青年学級の講師や村青年団協議会会長など地域のリーダーとして活動した。

約24年にわたり村長を務める

39歳で村長に推されて当選。以降6期約24年の長きにわたって村長を務めた。戦時中、米軍の本島上陸の地となった村は、復帰後も面積の約7割を基地が占めていた。村民は狭い土地で肩を寄せ合うように暮らさなければならず、軍事訓練中の事故や米軍関係の事件にも悩まされていた。

村政の最重要課題として掲げたのが村の中心部にあった読谷補助飛行場の返還だ。飛行場内にP3C哨戒機のアンテナ基地の建設が始まった際には、中止を求めて当時のカーター米大統領に手紙を出し、白紙撤回を勝ち取った。

ただ反対を唱えるだけではない。米軍幹部を夫婦で村観光に招くなど、押したり引いたりしながら粘り強く交渉。返還に先立ち、日米の「共同使用」の形で飛行場内に村役場や野球場などの建設を実現した。卓越した行政手腕により、2006年の全面返還の道筋をつくった。

「文化村」の理念を形づくる

村民の安全と生活を第一に、日米政府に対しても対等・平等な立場で交渉-。暮らし優先の政治姿勢は村づくりにも生かされた。読谷山花織の復興や「やちむんの里」建設など現在の村の理念である「文化村」を形づくった。紅イモによる村おこしや、残波岬の公園指定とホテル誘致など地場産業発展の基礎も手がけた。

6期目の途中で大田昌秀知事に請われ県出納長に就任。その年の知事選で大田氏が破れ1年足らずで退任となったものの、2007年には社民公認で参院比例区に立候補し当選。1期を務め13年に勇退した。

憲法を軸に一貫して平和と自治を追求

政治活動の土台となったのが憲法だ。02年に開催された衆院憲法審査会の沖縄地方公聴会で公述人として出席し「憲法9条は国民の命そのもの」と主張した。

政治家こそ憲法を守るべきだとし、有事法制化の動きを厳しく批判。かつての戦争の教訓から、改憲は国民主権をも危うくすると訴えた。14年には脱基地を進め特色ある村づくりを推進したとして沖縄タイムス賞(自治部門)を受賞。23年には県の地方自治功労者にも選ばれた。

「平和と自治」。憲法を軸に一貫して追い求めてきた山内さん。そうした姿勢から今の政治が学ぶべき点は多い。

出典:www.okinawatimes.co.jp