「戦争は人間のやることじゃない」と語るのは、南城市玉城糸数出身の知念周次郎さん(85)。沖縄戦で米軍の攻撃を受け、ガマにガスが充満する中、逃げ惑った体験を持つ。
日本兵と遊んだ幼少期
知念さんは1940年、旧玉城村糸数(現南城市)で生まれた。よく覚えているのは、糸数にいた日本兵と遊んだことだという。彼らは「耳を切られて鼻も切られるから、米軍の捕虜になるな」と、しょっちゅう私たちに言っていたと振り返る。
母が手りゅう弾を大切に保管
母は手りゅう弾をもらっていて、ぬらさないようタオルに包んで大事にしていたという。戦時中の厳しい状況の中、家族は身の安全を守るために行動していた。
ガマに充満したガス
米軍の攻撃が激しくなる中、知念さんはガマに避難したが、そこにガスが充満し、逃げ惑うことになった。艦砲射撃の中、命からがら避難した体験は、今も鮮明に記憶に残っている。
知念さんの証言は、戦争の悲惨さを伝える貴重な記録として、後世に語り継がれている。